忠臣蔵

日本人なら知らぬ者はいない忠臣蔵

 
12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日
 
浅野内匠頭が江戸城松の廊下で
吉良上野介に対し、刃傷事件に及ぶ。
 
吉良におとがめなし、 浅野は切腹を命じられる。
 
浅野内匠頭の辞世の歌
 
風さそふ
花よりもなほ
我はまた
春の名残を
いかにとやせん
 
浅野内匠頭、最期の場所
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主君の仇を晴らすため、
大石内蔵助率いる四十七士が
元禄15年(1703年)12月14日、吉良上野介の屋敷を襲撃、
吉良の首級を討ち取り、主君の無念を晴らす。
 
のちに、幕府により切腹を命じられ、
潔く切腹し、この世に別れを告げる。
 
大石内蔵助の辞世の歌
 
あら楽し
思ひは晴るる
身は捨つる
浮世の月に
かかる雲なし